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悼公 (晋)[とうこう] 悼公(とうこう、紀元前587年 - 紀元前559年)は、中国春秋時代の晋の君主(在位:紀元前573年 - 紀元前559年)。襄公の曾孫(父は恵伯談)にあたり、即位する前まで周の王都・洛邑で学問を積んでいたことから周子、または孫周と呼ばれた。 欒書と荀偃(中行偃) によって厲公が殺されると、晋に迎えられて君主となった。 文公の治世を理想とし、韓厥や智罃を正卿に、魏絳を中軍司馬に、羊舌肸(叔向)を世子の彪(後の平公)の傅とするなど、賢者を任用し内治を整え、諸侯と会盟し狄と和を結ぶなど、鄢陵の戦い以来、晋に傾いていた覇権を磐石なものにしたが、29歳の若さで死去した。 晋の最後の名君と謳われたが、悼公の時代は鄭や楚、秦などとの戦いが続き戦果は芳しくなく、国内では公室の力が弱まり大夫や貴族たちの力が増大した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「悼公 (晋)」の詳細全文を読む
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